第7回目のオンライン対談は、茶の湯を大成した千利休が、その美意識の最高峰を茶碗という形で表現した「楽焼」をつくられ、伝統を受け継ぐ陶工 楽焼・昭楽窯の4代目 佐々木虚室さんにお話いただきました。
楽焼・昭楽窯さんは1905年日露戦争の時、清水寺の門前で初められて、1944年京都市内から疎開をかねて亀岡に移住されました。なぜ亀岡かというと亀岡に窯の材料があったのですが、当時の流通状況が悪く、京都市内まで燃料の木材が運ばれずかつ市内では窯が焚けなくなり、移動してきたそうです。
松楽さんが作られる「樂焼」は茶道具のためだけにつくられた貴重な焼き物で、400年前千利休が自分の侘びを大成するために樂長次郎につくらせたものです。
今回の対談では、樂焼の歴史から特徴、そしてなぜ4代目の佐々木さんは松楽を継いだのか等お話いただいてます。普通の焼き物は通常は24時間、長ければ60時間(登り窯では1-2週間)焼くのですが、何と樂焼は 3分半!
その理由もぜひ動画内でご覧ください。
お知らせ−NEWS
終了
- DATE:
- 2020/07/01WED
- TIME:
- 17:00 – 18:00
- PLACE:
- Youtube Liveにて配信(DESIGN WEEK KYOTOチャンネルより)
- FEE:
- 参加無料
■トーク内容
①楽焼・昭楽窯について
~なぜ京都市内から亀岡に移動してきたのか~
②樂焼について
〜茶道具のためにつくられた貴重な焼き物〜
③4代目 佐々木さんについて
〜いつ頃から継ぐことを考えていたのか〜
④コロナ渦で再認識したこと
〜戦中戦後でお茶を嗜む人はいなかったが…〜
⑤つくり手としてのやりがい
~自分がつくった茶碗で誰かがお茶を飲んでくださる時が最も嬉しい瞬間~
⑥今後取り組んでいきたいこと
〜樂焼の本質を海外の方にもっともっと伝えたい〜
話が面白く、次世代の教育に関しても熱心な佐々木さん。動画内でお話されている内容がとても印象的で、琳派400年の時、佐々木さんが福知山中学校での特別授業で、「京都の博物館で琳派というすごい文化が京都の博物館で見れるんだよ」とお話されて、後日中学校の先生から子供たちが皆で行ったという報告を聞いたそう。(実は会期が始まってなかったそうなのですが 笑)「わざわざ福知山から京都市内まで電車に乗って、、とそのきっかけを作れたのが嬉しかった。」という佐々木さんの笑顔がとても優しいので、ぜひ動画でご覧ください。