豊かな文化が栄えてきた京都を支えてきたのは、実は京都よりもはるかに古い歴史を持つ丹波だった。そこでは2000年前から高度な技術を持ち、自然をリスペクトしながら未来と世界を見据えてきた活動をしてきた先人たちがいて、今もその思いが受け継がれています。現場を訪ね、カラダの感覚を開き感じることで、今自分たちが何をしていくべきかを考えるヒントを得ましょう。
そんな思いから生まれた「Deep Kyoto ものづくりの源流探索ツアー ’22/July 31」。「五感を開く」をキーワードに、真夏の丹波、亀岡のものづくりを味わった1日の様子をお伝えします。
レポート−REPORT
Deep Kyoto ものづくりの源流探索ツアー ’22/July 31
行程
- 請田神社
- 元愛宕神社
- 出雲大神宮
- 京すだれ川崎
- 三浦製材
- 開かれたアトリエ
亀岡について
まぶしい青空の下、ツアーの1日が始まった。JR亀岡駅に集合し、ワクワクしながらバスに乗り込む。するとすぐ、青々とした一面の田園風景が目に入ってきた。参加者の皆さんの自己紹介を聞きながら、初めて足を踏み入れた土地の見慣れない景色に胸が高鳴る。
市街地がぐるっと田んぼと山で囲まれたような地形が亀岡の特徴だが、なんと昔は一体が湖で、そこから埋め立てて現在の土地になったというから驚く。人間もよくやるものだ。また亀岡は、あの明智光秀が城を構えたことで知られ、現在は川下りを楽しむ観光客で賑わう保津峡も、かつては京へと物資を運ぶ水路として重要な役割を果たし、亀岡は交易の拠点として栄えたそうだ。
請田神社
最初の目的地である請田神社は、その保津峡の開削に関連する神社だ。地元の人もなかなか訪れないスポットだというが、なるほど、バスを降り、車が一台通れるかどうかギリギリの細道を15分ほど歩いた先にあるというので、その理由もわかる。
ツアー当日は気温37度を超える猛暑日だったので、少し歩くと聞いて覚悟を決めたが、緑で覆われた山道とあってか、そこまでの暑さは感じなかった。眼下に保津峡を望みながら、自然豊かな細道を進む。左に広がる林を覗くと、倒木があちこちに見えた。大雨の際に被害にあったそうだ。山肌からは湧き水が流れていて、思わず手を伸ばした。冷たい。水の音を聞いていると、気分も涼やかになる。湿った葉っぱの上をカエルが跳ねていた。
しばらく進むと、石造りの鳥居が見えてきて、鳥居の先、道が行き止まったところに神社があった。眼下に見下した保津峡の流れが綺麗だった。上流に目を向けると、鬱蒼とした山が目に入った。よく見ると、山の表面が直線的になっている。これは、人間が山を切り開いた名残で、「請田神社」という名前も、開拓着工のクワ入れを「受けた」ことに由来するそうだ。
それにしても、湖の埋め立てといい、山の開拓といい、人間もよくやるものだ。機械もない時代に山を切り開くとは、とんでもない労力だったことだろう。この場所に神社を建てた人たちの気持ちが少し想像できたし、人間がとんでもない高さのビルを建てたがる理由もなんとなくわかるような気がした。
元愛宕神社
細道を下って再びバスに乗り、次なる目的地である元愛宕神社を目指す。バスは日本家屋が軒を連ねる集落を走っていく。立派な瓦屋根の母屋が並ぶ古風な街並み。家の土台となっている石の積み方で、だいぶ歴史のある建物だとわかるそうだ。そういえば亀岡には明智光秀の城があったというから、ここはかつて城下町だったのかもしれない。
バスを降り、日本家屋を横目に坂道を登っていく。初めは順調だったが、家々を抜けた先に急な坂が待ち構えていて、これが思っていたよりしんどかった。かなりの勾配に息が切れて汗が吹き出す。セミの鳴き声が体力を削っていく。
といってもそこまでの距離はなく、5分ほどで坂を登りきり、元愛宕神社に辿り着いた。森の日陰がありがたい。しばらく涼んでいると、動悸も落ち着いてきた。
元愛宕神社は、火の神様を祀った神社で、3歳までに参詣すると一生火災に遭わないとの言い伝えがあるそうだ。京都市にある愛宕神社は、この元愛宕神社の分社で、京都の飲食店でよく見かける火の用心のお札をいただくことができる。
本殿は木造で、しっとりとした静けさとどこか重みを感じる空気感が印象的だった。よく見てみると、端の方に「鎌倉後期建立」とある。鎌倉後期というと、今から750年ほど前。そんな昔から人間の祈りを受けてきたのか。私と同じようにこの場所に立って参拝したであろう人たちを想像すると、人間いつの時代も不安なんだなと感慨深い。昔の人たちが身近に感じられて、何かが少し楽になった。本殿の脇にあったおみくじを引くと小吉で、何とも言えない気持ちになった。
出雲大神宮
次に向かったのは出雲大神宮。この日訪れた3つの神社の中では最も知名度があり、多くの参拝客が訪れる場所だ。709年に創建され、島根の出雲大社に先立つ「元出雲」と呼ばれ、江戸時代末までは「出雲の神」と言えば、この出雲大神宮を指していたとされる。
参拝客が多いとあって交通の便がよく、今回はバスを降りてすぐに鳥居に迎えられた。鳥居の質感や敷き詰められた真っ白な石、境内の露店やおみくじの種類の多さ。2つの神社とはまた違った雰囲気を持つ神社だ。水が噴き出る岩があり、それがとにかく不思議だった。
本殿の後ろにそびえ立つ山が御神体山で、社殿が創建されるはるか昔、1万年以上も前から、自然そのものを神の恵みとして信仰してきたという。本殿の裏手に進むと、運気が宿るとされる「磐座」という岩があった。感じる人は感じるというが、何かの力が弱い私にはただの岩にしか見えず、それより近くの木に生えていた苔の方が気になった。私は暗くて湿っているところになぜか安心感を覚えるので、苔を見るとどこかほっとするのだ。
辺りはしんとした林に囲まれていて涼しかった。緑の色がいい。そばには湧き水が流れ込む滝があり、水がすごく冷たくて気持ちがよかった。やはり夏は水辺に限る。ふと見ると、滝の近くの小さな賽銭箱に、SECOMのシールが貼ってあった。面白い。一気に現代がそばに現れた感じ。この不調和もまた一興だなと思う。
本殿の方に戻る途中、小さな鳥居があって、その鳥居の上に石がびっしり並んでいた。願掛けだろうか。それにしてもこの鳥居に載せるのは結構大変だっただろう。暇だったか、どうしようもなく不安だったか、両方か。どちらにせよ人間味があって面白い。考えてみると、確かに神社からはすごく人間味を感じる。神社特有の味わいは人間らしさに由来するのかもしれない。
ここでひとこと – 水越日向子
神社をお参りして、山道を下っている時に感じたこと。
私たちが「自然」と感じるものと、「人工」と感じるものの違いはなんだろう。「人工」と「五感」が結びつきにくいのはなぜだろう。人間もまた自然の産物だとしたら、ここから見えるマンションも、車も、自然の一部のはずなのに、私たちはどうしてそこに「自然」を感じないのか。しかし、人工物であるはずの神社からは、どこか自然を感じるというか、そこに込められた自然への思いのような何かを受け取っている自分がいるから不思議だ。
神社は、かつての人間が、カミ(自然)の圧倒的な力を人間社会と折り合わせていくために作ったのが始まりだと聞いたことがある。確かに、今回訪れた神社は、そこまで山奥というわけでもなく、人間の住まいから近すぎず遠すぎない距離感の山間に位置していた。神社は、自然と人間社会との境界線の役割を果たしているのかもしれない。その探り探りの折り合いの付け方に、人間らしい味わい深さを覚えるのだろう。
しかし、神社の例に限らず、自然の圧倒的な力との折り合いを図ることは、人間が生きるうえで向き合い続けなければならない営みである。自然を人間の手で操ることの本能的な畏れのようなものと、利便性を追求する人間生活との狭間で揺れ動きながら、そのバランスをどのように保っていくのか、どのように折り合いをつけていくのか。私たちは「自然」と「人工」の二項対立の上を生きているのではなく、むしろ境界線の引けない曖昧な関係性の中で揺れ動いているのかもしれない。
そこで問われるのが、「どう生きるのか」「どのような選択をするのか」ということだ。ここからは、自然と向き合うものづくりの現場にお邪魔し、現代社会において、自然と折り合いをつけながら生きるとはどういうことか、そのヒントを探った。
京すだれ川崎
すだれと聞くと、なぜだか小学生の頃の夏を思い出す。隙間からこぼれる縞模様の光の中で扇風機の風に吹かれながら、麦茶を片手に宿題をしたことも、今となっては遠い昔のこと。そんなことに思いをはせながら、京すだれ川崎さんの門口をくぐると、やわらかい、ふんわりとした香りに包まれる。ある人はこれを「実家と同じ匂いだ」といい、他のある人は「落ち着く匂いだ」といった。同じ香りでも、それぞれが感じている、思っている匂いって違う。
京すだれ川崎さんは、長年の技術や伝統、素材を守りながらも、それを生かして多様化し続けているすだれ工房である。
事務室ですだれについてのレクチャーを受け、各工房も案内していただいた。荘厳な佇まいの編み機は、修繕を繰り返して何年も何年も使い続けられているという。博物館のショーケースの中にいても違和感がないのに、まだまだ現役だというから驚いた。葭の一本一本が紡がれ、すだれとしての命が吹き込まれていく。人の手と編み機とがうまいことかみ合って綺麗に編まれていくから、すごい、すごい。
二階に上がると、そこには濃淡さまざまな葭が所狭しと眠っていた。5年分の葭が貯蔵・乾燥されているらしい。それに加え、代用萩やマコモなどさまざまな素材も並んでいる。他の部屋とは温度も匂いも違う。暑い。匂いも空気も濃ゆい。ここにひっそりと息をひそめるものたちが、すだれとなって太陽の光に照らされる日はいつ来るのだろうか、そしてそこにはどんな風景があるのだろうか、そんな想像が膨らんだ。
「エアコンをかける前に、すだれをかけろ」と川崎さん。すだれは部屋の温度を4〜5°Cも下げてくれるんだとか。変わりゆく地球で人類が生き残るためには、この言葉こそが大事なのかもしれない。開発や発展も大概にして、後ろを振り返ってみる、足元を見てみる、自分自身を深く掘ってみる。そういうことが今の我々には必要なのではなかろうか。
三浦製材
山道を進むバスに揺られながら亀岡のまちを眺めていると、いつの間にか眠りに落ちていたようで、目が覚めたころには三浦製材さんの作業場に到着していた。先ほどのすだれ工房での田園風景とは異なり、周りには沢山の木々が生い茂っていて、山の方に来たなあという感じがした。
「見るもんはないし、技もないが、木にはすごくこだわっている」という、三浦さんの力強い言葉が印象に残っている。三浦製材さんは丸太の製材から住宅建築に加え、幅広く木の持つ魅力を伝える活動をされているそうだ。木のあれこれを大変丁寧に説明してくださったのだが、終始エネルギーが高く、我々を惹きつけた。木や山に対する愛情、そしてその仕事への熱量と誇りを感じた。プロフェッショナルという言葉がまさに似合う方だった。
実際に製材の工程を見せていただいた。何年も使い込まれたであろう貫禄漂う大きな機械を潜り抜け、丸が四角になっていく。木が木の板になっていく。今まで私の中で「木は木」でしかなかったし、「木の板は木の板」でしかなかったのだが、始点と終点が結びついた。私の知っている木の板は、ちゃんと木で、樹だった。さっきまで土の上で生きていたんだなあなんて思ったり。
我々の手に届くもの、目に映るものは、ほとんどがただの点だ。作り手が見えない、工程が見えない。いつからか、ひとの存在を忘れてしまっている。ここにある服も靴も、家も道路も、どこかで誰かが作っている。誰かの生活と命がある。全てが線でつながっているはずなのに、それを忘れてしまう。製材の工程を見た私は、少しだけ誰かに、何かに、優しくなれたような気がした。
開かれたアトリエ
ツアーの最後に訪れたのは、亀岡市役所の地下1階にある、開かれたアトリエ。ここはコワーキングスペースやイベントスペース、作品展示など様々な目的で使われており、誰でも利用できるオープンスペースであるそうだ。地下にあるのに、大きな窓からたくさんの光が入ってきて、解放感と清潔感のある空間だった。
椅子を円に並べて座り、参加者が順にツアーの感想を述べていった。同じ道を歩いて、走って、同じものを見て、触ったはずなのに、やっぱりそれぞれの身体と頭で、違うことを思い、感じていたんだなあと改めて実感する。ツアー中、他の参加者の方とあまり積極的に会話できなかったことを少し悔やんだ。すだれの匂いはどうだったかとか、製材の工程を見てどう思ったのかとか、もっと細かく聞いてみたかった気もしたが、あの人はきっと…と、あれこれ想像してみるのもそれはそれで面白い。
「歩いてまわれたのがよかった」「自分でもっと調べたいという思いが沸いてきた」「機械や道具が興味深かった」などの声が多く上がり、どの参加者からも充足感や好奇心があふれ出ていた。
1日を振り返って – 瀬木和佳奈
感覚を開くとは、五感で感じるとは何だろうか。
このツアーに参加した当初は、頭で考えない、言葉にしない、とにかく見る・聴く・匂う・触れることだと思っていた。色々なところに行っても、できるだけ頭で考えないように心掛けてしまい、逆に変に執着した。でも、感覚と呼ぶそれも、私の脳みその中で起こっていることに過ぎないんだよなあ、なんて思ったり思わなかったり。
改めてこうしてレポートを書いてみて、五感で吸収してきたもろもろを頭をフル回転させて思い出し、言葉という形にして出してみて、ああ、ようやく「感じたな」というか、自分の体験になったなという気がした。もやもやとしていた感覚が、すとんと腹の中に落ちたような、輪郭がはっきりしたようなそんな感じ。自分でもなんだかよく分からないけれど、とても満足している。
この世の万事はその全てが影響し合ってできている、と思う。伝統も、文化も、自然も、情報も、ひとも、私も。全部が線でつながっていて、すごく複雑な網の目のようになっているんだと思う。私は少し何かを学んだり、経験したり、見たり聞いたりするだけで全てを知った気になることがある。でも、複雑すぎる線のすべてを知ることなど、到底できないだろう。私が見ている、知っている世界は、点と点を繋ぐわずかな隙間にすぎない。でも、それもいい。自分に見えている線の範囲を広げたり、ときには狭めたりしながら、人生を楽しんでいきたいなあとしみじみ思った。