INTRODUCTION
オンライン対談「丹後で新事業に挑戦している次世代たち」は、2021年6月24日~27日に開催された DESIGN WEEK TANGO 2021 の公式プログラムとして、4夜連続で実施したトークセッションの第二夜(2021年6月25日)。丹後地域のさまざまな分野で活躍する方々に登壇いただき、「丹後で新事業に取り組むモノづくりの次世代」という観点で、丹後のモノづくりについて語り合いました。
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レポート−REPORT
オンライン対談「丹後で新事業に挑戦している次世代たち」は、2021年6月24日~27日に開催された DESIGN WEEK TANGO 2021 の公式プログラムとして、4夜連続で実施したトークセッションの第二夜(2021年6月25日)。丹後地域のさまざまな分野で活躍する方々に登壇いただき、「丹後で新事業に取り組むモノづくりの次世代」という観点で、丹後のモノづくりについて語り合いました。
大善は、現在の社長で五代目となる織物製造工場。初代がシルクの織物をはじめたのち、三代目までシルクの織物を続け、現会長である四代目がポリエステルの織物にシフトチェンジ。以来、ポリエステル100% で織物を手掛けてきた。田中さんは将来の六代目を継ぐべく、2019年に家業に戻ったのをきっかけに、何か新しい製品を作りたいと、大型のインクジェットプリンターを導入。
カシミヤの毛織物を作ったり、革を染めて帯にしてみたりと、さまざまな新しい試みが軌道に乗りかけたというところでコロナ禍に。本業とする仕事もなくなってしまい、呆然としていたところに、臼井織物の臼井さんから「何か一緒にやろうよ」と声をかけられたのを機に、「たてつなぎ」というグループを立ち上げる。
「丹後ちりめんを地元の方に使ってもらいたい」「若い人たちに知ってもらいたい」をコンセプトに、子供が描いた絵などの画像を LINE で送るだけで、ポーチやテキスタイルボードを作れるサービスを2021年の4月からオンラインで開始。
織物以外にも、四代目である会長が新規事業として15年前に始めたオリーブが、長い年月をかけてやっとオイルが取れるまでに成長し、京丹後市初のオリーブオイルが誕生。織物とオリーブオイルという全く異なる「モノづくり」を一手に担っている。
矢野大地さん(百章 代表取締役)
宮津市の日置という小さな集落出身。大学進学を機に高知県に移り、約10年を過ごす。もともとは教師を目指し(教員免許も取得)、 教育の現場のあり方や、これからの日本の教育の少しでも良い形を見つけていきたいと、2015年の大学卒業後の翌年、2016年からNPO法人 ひとまきを立ち上げる。
地域の空き家を活用したシェアハウスで短期滞在のプログラムを運営し、人手不足の農家と進路に悩んでいる若い世代の人をマッチングするなどの サービスを提供。他にも、四国時代から携わるジビエの事業や、革を使った商品開発で企業と連携するなど、本来捨てられてしまうものを活用した取り組みを行っている。
2019年、実家の庭にあったレモンの木がたくさん実る景色に感銘を受けたのをきっかけに、レモン作りにも励んでいる。2020年の春に240本を植樹。将来的には1000本を達成し、宮津の名産品にしたいと意気込む。
京都府宮津市出身。2021年に大学院を卒業して帰郷し、漁師の修行を始める。高校卒業後に高知の大学に進学、その後、愛媛の大学院に進む。卒業後に漁師という道を選んだきっかけのひとつは、自分が常に、暮していた場所の魚を食べて育ったということ。 学生の時は魚を美味しいと思わなかったのが、地元を離れて初めて、魚や魚介類の美味しさに気づき、地元・宮津の漁師の現状が気になりだした。
漁師町の漁師の平均年齢が70代、最年少でも60歳というかなり深刻な状況を知り、このままでは地元の美味しい魚を食べることができなくなるという危機感から、自分が漁師になろうと志す。
また、昔はたくさん獲れた魚が、最近では減っていっている原因は何だろうと考えた時、昔は大量生産、大量消費の考え方だったというところに行きついた。対してこれからの時代は、一つひとつの商品の価値を上げることが必要とされ、そのために必要なことを丁寧にやっていきたいと、父と一緒に養殖事業にも取り組んでいる。
京都府宮津市出身。2021年に大学院を卒業して帰郷し、漁師の修行を始める。高校卒業後に高知の大学に進学、その後、愛媛の大学院に進む。卒業後に漁師という道を選んだきっかけのひとつは、自分が常に、暮していた場所の魚を食べて育ったということ。 学生の時は魚を美味しいと思わなかったのが、地元を離れて初めて、魚や魚介類の美味しさに気づき、地元・宮津の漁師の現状が気になりだした。
漁師町の漁師の平均年齢が70代、最年少でも60歳というかなり深刻な状況を知り、このままでは地元の美味しい魚を食べることができなくなるという危機感から、自分が漁師になろうと志す。
また、昔はたくさん獲れた魚が、最近では減っていっている原因は何だろうと考えた時、昔は大量生産、大量消費の考え方だったというところに行きついた。対してこれからの時代は、一つひとつの商品の価値を上げることが必要とされ、そのために必要なことを丁寧にやっていきたいと、父と一緒に養殖事業にも取り組んでいる。
梅田:田中さんがUターンされたきっかけは何でしたか?
田中:父が5代目で、僕は一応長男で。昔から継がなくてもよいと言われていましたが、歴史もあるし、一回くらいはやっておいた方が良いのかな、という意識で帰ってきました。織物や丹後ちりめんに対しては、おじいちゃんやおばあちゃんがやっている年齢層が高いイメージだったのですが、織物を知っていくうちに、すごく色々な種類の織物があり、リボン織や貝殻を織り込むとか、レザーを織るとか、そのバラエティの豊かさにびっくりしました。
梅田:本藤さん、宮津に帰ってきたときの漁師が少ない状況を見てどうでしたか?
本藤:漁師って、稼げるイメージがあまりないのと、新規参入が難しいんですよ。農業だとまだもう少しやりやすいかもしれませんが、限られた海の中で資源を取り合う、いわば競争なので、新規参入をしようとしても、よそ者扱いされてしまう。若者が漁師になろうと思ってもなれるものではないですね。両親や親族がやっていないとできない。
梅田:その壁を打破するためのものとは?
本藤:僕自身が、漁師は稼げるということをアピールするようにしました。SNSなどをうまく使いこなせる漁師はあまりいないと思うので、宮津に美味しい魚があるということをどんどん発信して、多くの人に美味しい魚を食べたいと思ってもらえるような発信をして、ひいては漁師になりたいという人を増やしたいです。
梅田:田中さん、織物の業界にもその壁を打破するものはありますか?
田中:近辺の織物の事業者でいうと、僕が最年少だと思うんですけど、丹後ちりめん自体がおじいちゃんおばあちゃんが使うものというイメージがあって、若者が使うイメージはない。「たてつなぎ」の活動のように、若い方に興味を持ってもらえるような商品企画や活動をしていきたいですね。
梅田:今、まだ若い世代の僕たちですが、僕たちの次の世代につなげるために必要だと思っておられることはありますか?
田中:うちの話なんですけれども、今までは、織物だけを織っていれば、製品にしなくても生地を問屋さんに卸して食べていけたんですが、今後それではやっていけず、どうしても生産量は減っていくんだろうなと覚悟しています。
一番大事なのは、最終製品を作って、なおかつ商売として成り立つ販路を作り、ブランドの力をつけること。「たてつなぎ」で作る製品やオリーブも、まだスタートラインに立っただけなので、ここからの販売の仕方をしっかり考えてやっていかないとダメなんだろうなと思います。
梅田:そんな中、3社が合同で製品を作るというのは新しい動きですね。背景や経緯を教えていただけますか。
田中:それぞれの強みがバラバラだったことが、逆にお互いの弱いところを補い合えるということに気が付きました。うちは元々やっていた丹後ちりめんの製造を止めていたので、まず生地が無い。そこで、臼井さんの丹後ちりめんを使い、うちはインクジェットプリントができる。プリントする時のデザインは、もう一人の女性のメンバーがやってくれる。3社とも、丹後にある織物に関する業者なんですが、それぞれの強みをうまく活かしています。
臼井さんも僕と同じ時期に家業に入って、良い意味でそこまで丹後ちりめんにこだわりがないというか、客観視ができていたので、気軽に一緒にやろうと、割と早く結成しました。親の代の社長同士だったらそんなことはまずなかったと思うんですけど。
梅田:本藤さん、漁師は場所を取り合ってるみたいなことをおっしゃっていましたが、漁師の世界でコラボ的な新しい動きは出来そうなものでしょうか?
本藤:漁師と漁師でコラボするっていうのは結構難しいと思います。でも、宮津で町おこしするという意味で、いろんな食材提供はできるんですよ。町おこしや食に結びつくようなコラボは、今後進めていかなきゃいけないなと思っています。
梅田:矢野さん、レモンと教育をかけ合わせた事業の構想について教えてください。
矢野:レモンの栽培を始めて2年経つんですが、子供育ててるみたいな感じなんですよね。木を大きくするには、ちょっとストレスを与えたりしなきゃいけなくて、そこが人間で言うところの躾みたいな感じかなと思ったり。
木を放置して大きくしても、あんまり実はならないんですよ。果樹って変化が分かりやすいので、それがすごく面白くて、観光農園みたいな感じで圃場の中に入ってきてもらって収穫体験もできる。最終製品も作りやすいですね。例えば飲食店にカットレモンで販売されていたり、蜂蜜に漬けて家庭で食べたり、マーマレードとして店頭に並んだり。レモンの活用範囲がものすごく幅広いという事実が、僕たちがレモンを一つの軸にした理由です。
梅田:いいですね。ありがとうございます。ところで、仕事だけではなくて、遊びや楽しみの面で、本藤さんはどのように過ごしてますか?
本藤:僕、趣味でランニングとか筋トレとか好きで。仕事がだいたい夕方5時6時に終わるので、天橋立が10分ぐらいのところにあるので砂浜を走りに行ったりとか。あと、仕事中なんですけどめちゃくちゃ暑い時はすぐ海に飛び込んで泳いだりとか。
梅田:漁師ならではの遊びを満喫しているんですね。田中さんはいかがですか。プライベートのところをどういった遊びをされてるのかなと。
田中:僕は子供が二人いるので、公園によく遊びに行くんですが、コロナ禍でも公園がたくさんあるし、密にならないし、自由に広々と遊ばせられるっていうのはすごくいいかなと。自分の楽しみとしては、ドローンを飛ばすのが好きで、田舎ならではの遊びなのかな。
梅田:ドローン面白いですね。また是非教えてください。最後に、ご登壇いただいたお三方から感想やお知らせなどあればお願いします。
田中:皆さんに刺激を受けて、僕も頑張らないといけないなと思いました。また何かでコラボとか繋がりができたらすごくありがたいです。プリント関係は任せてください!
矢野:僕はまだ帰ってきてまだ2ヶ月ぐらいなので、まだまだ素人みたいな状態なんですけれども、いつか農家として何か宮津市丹後でレモン農家いるよ、って見つけてもらえるような存在になりたいですね。それによって、若い世代の人がチャレンジしてみようかなって思えるように頑張っていきたいです。
本藤:3月に帰ってきて以降、毎日毎日海にいる時間の方が多かったんですが、まあそれだけやらなきゃいけないこととか覚えなきゃいけないことばかりで大変な毎日です。でもやっぱり、丹後で活躍されているいろんな方々の話を聞いて、頑張ってるの僕だけじゃないなって感じられました。せっかく海があるので、宮津は京都の海の街なので、その観点からもっと盛り立てていけたらなと思いました。