レポート−REPORT

【トークセッションレポート】梅小路クリエイティブタウンと京都のゲートウェイとしての可能性

2023年2月16日(木)、KRP GOCONCにてトークセッション「梅小路クリエイティブタウンと京都のゲートウェイとしての可能性」が開催されました。

丹波・丹後地域のゲートウェイ的な位置づけである丹波口は「文化イノベーション(Cultural Innovation)」の拠点となるクリエイティブタウンとしての役割が期待されています。

お招きしたのは、さまざまなプレイヤーのハブとしての活動を展開する藤崎さんと足立さん、そして日本の伝統工芸を海外ヘと発信する小山さんです。

・藤崎 壮滋(株式会社梅小路まちづくりラボ 代表取締役)
・足立 毅(京都リサーチパーク(株)ブランディング統括理事、地域開発部長)
・小山 ティナ(POJ Studio創業者、代表取締役社長)

後半は参加者からの質問も飛び交い、京都のゲートウェイ丹波口で未来に向けた対話が繰り広げられました。

京都のゲートウェイとしての可能性を秘める「丹波口」

北林:皆さん、こんばんは。「DESIGN WEEK KYOTO(以下、DWK)」代表の北林です。まずは今回のテーマの概要についてお話させてください。

「丹波口」は、かつて七口(ななくち)と呼ばれた京都の代表的な出入口のひとつです。五条通を西へ走れば亀岡や丹波につながります。

このあたりは丹波口の名の通り、ゲートウェイとしての新たな可能性が期待される地域です。近年は、梅小路公園から丹波口エリアをクリエイティブタウンにしていこうという取り組みが動き始めています。

本日は、取り組みの仕掛け人である藤崎さんと足立さん。そして梅小路に魅力を感じている小山さんと共に、この街の可能性について話し合いたいと思います。まずは藤崎さん、お願いします。

梅小路の街をクリエイティブタウンに

藤崎:梅小路まちづくりラボ代表の藤崎と申します。弊社は「梅小路の街をクリエイティブタウンに」というミッションのもと活動を続けています。事業内容は主に2つです。まずは、ソフト面のエリアマネジメント的な活動についてご紹介します。

地域のエリアマネジメントには、私たちを含む6団体が参画しています。梅小路京都西駅や京都駅周辺の企業が集まる「京都・梅小路みんながつながるプロジェクト」。そして、ホテルエミオン、花伝抄などのホテル事業者や商店街の方々が集まる「梅小路京都西・七条通賑わいづくり協議会」。さらに、梅小路公園の指定管理を担当する「京都市都市緑化協会」と「京都市」、北林さんの「COS KYOTO」です。

これらの団体が集まり、梅小路周辺のクリエイティブタウン化に向け話し合う会合を、定期的に開催しています。人材の集積交流を目的とした各種イベント、ランチ会開催も取り組みのひとつです。

ハード面の活動でいうと、現在進行中の市場の再編が挙げられます。再編により出た遊休不動産をリノベーションし、拠点事業とする取り組みです。今後は工房が必要なアーティストやスタートアップの起業家、多国籍の方々などに集まっていただきたいと考えています。

昨年は、1号館となる「Umekoji MArKEt」が完成しました。元は青果や京食材の倉庫だった建物を20年契約で借り受けリノベーションしたものです。現在は北林さんも含め、6社が入居されています。今後はこういった交流拠点を徐々に増やしていく予定です。

ロンドンのクリエイティブタウンと重なる市場場外

北林:では、続けて足立さんお願いします。

足立:皆さん、はじめまして。京都リサーチパーク(以下、KRP)の足立と申します。今回の会場であるGOCONCでのイベント企画もKRPが手がける事業のひとつです。30年前にKRPが誕生する以前、この場所は大阪ガスのガス工場でした。

このあたりは数年前に梅小路京都西駅ができ、ホテルが4つ建設されるなど京都市内で珍しく動きの多いエリアです。また、市場場外の古い建物や倉庫には、若い事業者が入居する流れが生まれています。

線路を挟んだ島原は旧花街にあたります。現在も雰囲気の良い町家が続き、若い事業者やIT企業が事務所を構えるエリアです。私自身、近年は外から若い方々が流入する流れを強く感じています。今後も各地区の街並みを活かした建物の見せ方、作り方を提案していく予定です。

北林:ありがとうございます。都市の再開発というと、ビル建築のようなハード面のイメージが強いですが、実際にはもともとあるソフト面をどう活かすかが重要なポイントとなるのでしょうか。

足立:はい。過去に、不動産脚本家・扇沢さんから、早朝から人や車が動く市場場外の建物は、工房付き住宅に最適だと言われたことがあります。扇沢さんは、若手現代アーティストが住み創作活動ができる宿泊施設「KAGAN HOTEL」を企画した人物です。彼によると、市場場外にはロンドンのクリエイティブタウンによく似た風情があるといいます。

産業の転換期にブロックごと人がいなくなり、若いアーティストや同世代の起業家、次第にバンカーなどが集まって来る。結果、アーティスティックになったロンドン近傍のショーディッチという街が市場場外と似ているという話は、私にとって初めての気付きとなるものでした。

北林:ありがとうございます。外国とのつながりという話を受け、ここからは小山さんにマイクをバトンタッチしたいと思います。

純日本製のライフスタイルブランドを世界へと発信

小山:Pieces of Japan株式会社代表の小山と申します。会社名は、日本のかけらを海外へ、という思いから名付けました。ブランド「POJ Studio」では、海外向けの日本の伝統工芸品を販売しています。

弊社は伝統工芸の職人さんのサポートを目的にスタートした会社です。現代の伝統工芸は、後継者不足や、職人がいても給料が払えないなどの問題を抱えています。日本国内では職人たちを支えきれないのが現状です。

私は3年前までシリコンバレーのテック業界で働いていました。現在のビジネスパートナーは、ニューヨークでアートディレクターとして活動していた経歴を持ちます。POJ Studioが扱う伝統工芸のジャンルは、漆や陶芸、草木染や指物などさまざまです。それらの技術を集結させ、純日本製のライフスタイルブランドを展開しています。

小山:ブランドのなかでもユニークなアイテムがDIYキットシリーズです。第1弾は金継ぎキットを販売しました。すべてが手で作られたものだからこそ、修復して長きにわたり使っていく。金継ぎキットは、日本の伝統工芸における修復の大切さを知ってもらいたいという思いから誕生した商品です。

創業から3年間はECサイトとして展開していましたが、昨年9月東山に実店舗をオープンしました。店舗にはワークショップスペースや宿、カフェが隣接し、POJの商品がリアルに使用されている様子を楽しんでいただけます。

北林:小山さんはスイスのご出身ですが、生い立ちなどについてもお話いただけますでしょうか。

小山:はい。私はスイスで育った後、東京で社会人経験を重ねてアメリカに移り住みました。そこで気付いたのが、日本はニッチではなくトレンドであるということです。

億単位のお金がアプリなどに投資されるのを目にしながら「このなかの1億円だけでも職人に渡れば、何十人という職人の未来が次へとつながるのに」という思いで働いていました。結果、思い切ってテック業界を離れ京都でPOJを創業し今に至ります。

北林:テックから伝統工芸。真反対の世界に飛び込まれたと思うのですが、だからこそ、そこには色々なピースが詰まっているということでしょうか?

小山:そうですね。テックだからこそ日本の古い文化に惹かれたのだと思います。私だけなく、テック業界ではそういった流れがあるのが現状です。多くの人が伝統からあまりにもかけ離れた場所に身を置くことに、居心地の悪さを感じているのかもしれません。地に足をつけるためにも良いものを手にしたい、触れたいと考えている。だからこそ、伝統工芸にとっては今がチャンスだと感じました。

京都のはしっこから生まれた文化と歴史

北林:小山さんから伝統工芸のお話が出たところで、ここからは足立さんにKRPの歴史的な部分を伺いたいです。

足立:KRPは、平安京時代はセンター街でもあった朱雀大路沿いに位置しています。30年前にKRPを開発する際には、平安貴族邸の遺跡が発見されました。

足立:明治時代には、島原競馬場が存在しました。競馬場と花街の統合型リゾートともいえる場所だったんです。また、先ほどお話した通り、KRPはかつて大阪ガスのガス工場でした。1970年代後半、時代は液化天然ガスの輸入に切り替わり内陸部の工場は閉鎖していきます。

大阪ガスも役目を終え工場跡地をどうしようかというとき、産業界と京都府、京都市が一丸となり京都から次の産業を生み出す場所にしようという話が挙がりました。1989年にはKRP東地区が開設し、全国初の民間運営による都市型リサーチパークが誕生します。

今の写真からは、かつての工場はもちろん、競馬場や平安京のセンター街の風情も感じられないかもしれません。しかし、目に見えないだけで積み重ねられた時代の意味、存在は確かにここにあります。

北林:昨日のトークセッションでは、ドイツの建築家の方々と「あいだ」をテーマにディスカッションしました。京都の静原は都市と農村のあいだであり、新しい文化が生まれる場所だよねという話題になったんです。

KRPのエリアも同様に、京都の真ん中だったらできないことが、この辺りだから許されたという面が大きいのではと感じます。競馬場だって、はしっこじゃないとできないですよね。新しい何かを生み出すとき、実ははしっこが重要な役割を担っているという点を、皆さんにも感じていただければと思います。

クリエイティブタウンとしての可能性、京都が抱える課題とは?

北林:そもそもクリエイティブタウンとはなんなのでしょう。実際に取り組みに携わってらっしゃる藤崎さん、お願いします。

藤崎:学術的な分野では、クリエイティブタウンはまちの再開発の一手法として語られます。産業の移り変わりと密接な関係があり、製造業が中心だったエリアが徐々にさびれ情報産業に移り変わるなか、空きスペースをクリエイティブ産業が埋めていくイメージです。

クリエイティブタウンに人が移り住む最初の理由は、地価が安い、居心地が良いといったものが主流ですが、やがてクリエイティブが産業と結びつき、新しい文化やビジネスが生まれ街の再開発へとつながっていきます。

行政や街の再開発を手がける方々のなかには、クリエイティブタウン創出のためにさまざまな手法を試みるものの、うまくいかないケースも多いといいます。そもそもクリエイティブタウンを育てるためには「3T」と呼ばれるテクノロジー、タレント、トレランス(寛容性)がバランスよく存在する環境が必要です。

3Tのひとつであるテクノロジーは、タレントに付いてきます。タレントは、そもそもトレランスがある街に集まるという理屈です。

梅小路は、街の中心とは異なる寛容性を持つエリアです。仕入れのために色々な人が出入りするため、街中だと「あかんのちゃう?」と言われることも、ここでは他者は気に留めません。もともと洛外、お土居の外というのも、寛容性の要因の一つでしょう。市場で働く人をターゲットとした、早朝から昼過ぎまで営業するゴム長靴などの専門店が存在するのも、この地域ならではですよね。街の寛容性こそがこのエリアの特色であり、ある種の武器だと考えます。

可能性の先に見える京都の課題

北林:サンフランシスコのSOMAには、寛容性のある中央市場場外と似たような風情があるといいます。SOMAにはどのような特徴があるのでしょう、足立さん。

足立:SOMA(South of Market)は開発以前は倉庫や工場が建ち並び、あまり治安が良くないといわれていたエリアです。2000年以降の再開発で美術館や博物館が建設され、人の呼び込みに成功した例だといえます。

北林:10年ほど前にSOMAに足を運んだのですが、確かにあまり治安が良いとは感じられませんでした。小山さんはここで働かれていたと思うのですが、SOMAのクリエイティブタウンと梅小路、共通点や可能性など感じるところはありますか?

小山:確かにSOMAはイメージががらりと変わったと思います。ただ、アメリカは何もかも規模が大きいですよね。対して、日本は広すぎずかつ安全性が高いことが魅力です。多様なショップ、文化が狭い範囲内に混在するため、歩きながら色々なものを探索できます。

可能性は山ほどあると感じますが、個人的には緑に触れられるエリアが増えて欲しいですね。京都は屋外でくつろぐ場所も限られますし、ルーフトップのテラスなど、もっとあってもいいと思うんです。

また、今の京都はキャパオーバーなのでは?と感じる一面もあります。京都の新しい建築物を見ても、どこに伝統文化があるの?と思うものばかりで。建物の装飾はプラスチック製がほとんどですが、スギやヒノキなど、日本の林業を活かしたアイディアはいくらでも考えられるのではないでしょうか。今の京都を見ていると、自分は京都を嫌いなのかなと思ってしまうくらい、京都が痛々しく感じられます。

北林:私も海外の方に「京都の人って京都の街嫌いなんですか?」と言われたことがあります。応仁の乱でも燃えなかった建物を、維持できないからとマンションに変えてしまう。「応仁の乱より破壊のパワーが強いんですね」と言われた時はショックでしたね。そういった意味では、島原は昔ながらの街並みが残り、KRPはテクノロジーやアーティストなどが集まるエリアだと思うのですが藤崎さんはいかがですか?

藤崎:島原は昔ながらの雰囲気や街並みを大切にしなくてはいけないエリアだと思っています。新たな文化を生み出すためにも、伝統建築や歴史の存在は非常に重要です。利便性や機能性だけを追い求めた建物には、クリエイティブな方々は集まらないのだと思います。

小山:とはいえ、町家を改築して寒い中で過ごすのはソリューションではないですよね。自分としては、国内で使われていないスギやヒノキの問題を解決したいと強く感じています。現代のテクノロジーを活用し、木材に包まれながら心地よい生活を形作っていく。そのために何かいい手段はないのかと常に考えています。

北林:足立さんは、もっと活用できればと思うものはありますか?

足立:活用とは異なるかもしれませんが、先ほどの金継ぎキットのお話は修理の文化を海外に伝えるうえで非常に興味深いなと感じました。

小山:修理もそうですが、最近は使えない材料で何かできないかと考えています。日本の森は常に問題を抱えているにも関わらず、一般住宅に使われるのは輸入木材がほとんどですよね。この問題をクリアできれば、森だけでなく海も元気になっていくのではないでしょうか。何より自然を都会に取り込むことで、我々自身が健康的で幸せな生活を送れるのではと考えます。

クリエイティブタウンにおける対話の重要性

北林:都市と自然ということで、藤崎さん、最近開催された「テリトーリオツアー」のことを教えていただけますか?

藤崎:テリトーリオツアーは、初日は梅小路、翌日亀岡を堪能してもらうという1泊2日のツアーです。初日は梅小路公園や京都の伝統技術を活かした現代都市の緑化ソリューション、クリエイティブな取り組みにつながる地域を見ていただきました。

2日目は法常寺で座禅をし、金剛寺などを見学するコースです。都市と農村が互いに連関しながら京都文化を形作ってきたことを体験できます。

北林:そもそも京都の文化は、大原や亀岡など周辺の農村地域と行き来しながら生まれたものですよね。例えば、京都の町家には必ず坪庭がある。これは、当時の人々が街中に農村の景色を採り入れようと考えた結果です。街中では何かと張り詰めた気持ちで過ごさなくてはいけない。とはいえ、当時の人々にとって大原などは簡単に足を運べる場所ではなかった。だからこそ、人々の心を和ませる坪庭を町家に作ったのだと思います。

藤崎:現代の京都はキャパオーバーになり、ある意味余白がなくなっているのではないでしょうか。ただ、幸か不幸か人口は減少傾向にある。この流れをどう汲むかが未来の京都の課題なのではと感じます。街中にはなくなってしまったものも、大原や亀岡にはまだ残っている。今後はその関係性をどう活かすかが重要なのかもしれません。

北林:昨日のトークセッションのテーマであった「あいだ」の価値観が、梅小路にも当てはまるような気がします。そういった意味では足立さん、これからのKRPの将来性についてどのように考えてらっしゃいますか?

足立:このあたりは、市場場外の古い街並みや島原の風情など、将来に向けて残したい街並みが隣接する場所です。そこでうまく働ける環境を地元の方々と共に作っていきたいと考えます。

また、梅小路公園だけでなく市場場外などに人を周遊できるような提案もしていく予定です。ガサガサッと一度に開発するのではなく、ありのままの形をどう活かしていくのか、議論と推進ができたらいいですね。

外から多くの方々に来てもらうためには、文化の力も必要です。アートや音楽、伝統工芸など、そういったものに触れられる催しも常設できればと考えます。

北林:そういった意味ではDWKも、京都のものづくりに関わる方々と外とをつなげようという点で共通しています。DWKでは事業者と直接対話しながらものづくりへの理解を深められます。その時の刺激を持ち帰り、他者と共有するなかで次の文化が生まれるのではと考えるのですが、ディスカッションの必要性について小山さんはどう思われますか?

小山:正直なところ、日本人がECビジネスでつまづく理由のひとつには、自分を外に出さないという日本特有の文化が影響しているのではと考えます。自分をマーケティングするという文化がないせいで、インターネットやソーシャルメディアの時代に乗り切れていないのではないでしょうか。

私はパネルディスカッションに招かれることも多いのですが、そういった場でも質問が非常に少ない。意見を言い合う、自分を主張するなど、自分の魅力を人に伝えるという文化がないから、いざ頑張ろうと思っても難しいのでしょうね。

ただ、若年層の意識は徐々に変わってきているのかなとも感じています。今後はより多くの人が楽しく議論できる場が求められるのではないでしょうか。

北山:ありがとうございます。まさにこれら言いたいことをご提案いただきました。これから10分ほど時間を設けますので、皆さんぜひお近くの方と感想をシェアしてみてください。この後は質問タイムに移ります。

【参加者からの質問】人々の対話が、新たな文化を生む

──クリエイティブタウンができるというお話、ワクワクしながら伺いました。一方で、地域住民がどう思われているのか気になりました。歓迎的なのか懐疑的なのか、どうなんでしょう?

足立:確かに突然イノベーション拠点が増えると戸惑う方も多いと思います。幸い、現在は牛歩の歩みで計画が進んでいますが、そのなかでも小さなコミュニケーションを欠かさない意識が重要です。

また、クリエイティブタウンに必要な要素は、必ずしもウォールペインティングや大きな音で音楽を鳴らすといった行為に限られたものではありません。人々が没頭できること、チャレンジできることが求められるのだと思います。KRPにはレンタルラボがあり、Kyoto Makers Garageには安く借りられる3Dプリンターがあるなど、この街ならではの強みを活かしながら、物事に没頭できる環境を整えていきたいです。

また、この場GOCONCでは月に1回、クラシックやDJなどの音楽イベントを開催しています。ご近所の方も気軽に参加し楽しんでもらえるよう、こういったイベントは今後も続けていくつもりです。

──地域に根付く伝統工芸品などを外に向け発信する際、受け取る側にとってそれはどういった意味合いを持つものになるのでしょうか?

小山:海外の方の多くは、日本の伝統文化のフィロソフィーに惹かれるのだと思います。日本の伝統工芸には、中国や韓国とは違うそぎ落とされた美のようなものがありますよね。そういった精神性に多くの人は惹かれるのではないでしょうか。また、建築家やデザイナーなど、クリエイティブに携わる方々は日本が大好きですよね。梅小路にもそういった方々を迎える場があれば最高ではないかと思います。

北林:海外の方にはゲートウェイとしてぜひ一度ここに着地してもらいたいですね。いきなり丹後や丹波に足を運ぶのはハードルが高いだろうから、一度ここへ立ち寄ってもらい予備知識を得ていただく。そもそも伝統工芸自体が、その土地にアクセスするためのゲートウェイ的な存在なのではと感じています。

小山:もうひとつ、京都の良いところとして挙げられるのが、大企業が少ない一方で起業家が多い点です。京都で出会う起業家さんって、面白い方が多いんですよ。そういった方々が定期的に集まれる場所ができれば素晴らしいなと思います。

足立:確かに、京都にはインディペンデント感満載の方が多い印象です。音楽や工芸に携わる方や舞台関係の方など、個々の熱量が高い方が非常に多いですよね。企業側も、そういった方々とどんどん関係性を持ってもらいたいと感じています。

北林:足立さんのバックグラウンドについて申し上げると、本籍は大阪ガスなんですよね。実は私も20年前は大阪ガスで足立さんと同じチームに所属していたという。

足立:京都で仕事を始めてからご縁の大切さをひしひしと感じています。誰と知り合いなのかという点が大事だな、と。「小山ティナさん知ってるの?」「あ、知ってるよ」みたいな。

北林:これが東京のような大都市になると、知り合い同士が重なり合うケースは少ないんですよね。クリエイティブタウンの要件にも、10分以内に会える距離感が必須とされています。今日会いませんかと電話をして気軽に会いに行ける距離感ですね。

──本日のDWKツアーに参加した者です。先ほど対話の重要性について触れられていましたが、KRPの30年の歴史の中で対話からのイノベーションの機会はどれほどあったのでしょうか?

足立:KRPは、「京都からの新ビジネス・新産業の創出に貢献する」という気高いミッションからスタートしました。なので、ここは新産業を目指す皆さんとオープンに交わりましょうという場でもあります。京都の真ん中で少し先を行くことを意識した地区にしたいという考えから、2000年頃に地区内高速通信網を整備しITベンチャーの集積を図ったり、ライフサイエンスのスタートアップさんを応援するヘルスケアベンチャー·カンファレンスなども開催してきました。

北林さんとの対話では、研究者もビジネスマンも音楽を聴いたりアートに触れるよねという話から、もっと文化的な交流機会からもイノベーションのきっかけになるのでは、と盛り上がってます。対話からのイノベーションという面から見ると30年目にしてまだまだといえるのかもしれません。ぜひこれを機に、皆さんとも良い対話を通じて関わっていけたらと考えています。

──アートインレジデンスのように、海外からアーティストを招いたりまたは国内からアーティストを海外に出したりといった取り組みは考えてらっしゃいますか?一次産業の話がありましたが、間伐材を利用した作品を作り、DWKのような規模で発表、ゆくゆくはビエンナーレなどに出品すれば、外と中とが繋がる魅力的な取り組みになるのではなるのではと思うのですがいかがでしょうか?

北林:DWKも8回目を迎え、文化として少しずつ定着し始めたところです。全国にも似たようなイベントはあるのですが、京都はものづくりと創造性を有する方々、サポートする方が多いことが大きな特徴かと思います。現在の領域を発信する場として、2025年の万博はちょうど良いのではと考えているところです。

発信する機会さえあれば、今おしゃったようなアーティストインレジデンスも視野に入ってくるでしょう。これまでのDWKは、京都というガチガチに固まったぬか床をかき混ぜ、良い状態にするのが役割でした。これからはぬか床に素材を入れ良いお漬物を作っていく、いわゆる新しいものを生み出すフェーズに移る時期が来たのかと考えています。京都のはしっこだからこそできる表現を皆さんと一緒に考えていきたいですね。

──ガチガチのぬか床をかき混ぜるには、賛同者を集める必要があったと思います。そのあたりはどのようにクリアされたのでしょうか?

北林:ポートランドに足を運んだ際にDWKのようなイベントの必要性を感じ、やるぞー!と口にしてみたのが第一歩でしたね。後は運がよかったのかもしれません。京都信用金庫の方や今日ご一緒している足立さん、個人的な知り合いやDWKスタッフなど、どれもがご縁の積み重ねで生まれた関係です。すべてが始めからうまくいったわけではありません。少しずつ少しずつご縁を重ねた結果、今回の8回目の開催につながっているのかなと思います。

藤崎:DWKも梅小路もまだまだ仲間を募集しているところですよね?この場にいらっしゃる皆さんも今回のテーマに興味があるから足を運んでくださったのでしょうし、ぜひ今後とも関わっていただければと思います。

2025年大阪・関西万博開催時には、およそ300万人の外国人がやってくるといわれています。しかも、文化的なことへの関心が高い方々が訪問される。万博は、とかく観光消費額や経済効果などの矮小な議論になりがちですが、これを文化イノベーションに活用しない手はないのではないでしょうか。

日本の伝統文化の良さに気付き、感じてもらうためにもこうしたイベントはどんどん開催していきたい。訪れた方々とのディスカッションを通し、日本人である私たちも新たな視点から物事を捉えることができます。そのためには、まだまだ仲間が必要です。みなさんぜひ一緒にチャレンジしていきましょう。

北林:正解や結論を出すことではなく、まず色々な人と知り合い話し合うことが必要ですよね。そういった意味でも、本日はお三方に議論に加わっていただき大変有意義な時間となりました。この場に参加された皆さんもぜひ感想を持ち帰り、他者との対話のなかで新たな何かを発見してもらえればと思います。本日はありがとうございました。

レポート:永田 志帆