レポート−REPORT

「DESIGN WEEK KYOTO 2023 in 丹波・京都・山城」ツアーレポ part 2

地域や歴史に精通したコーディネーターと現場を回る「オープンサイト・ラーニングツアー」。2日目は京都駅からスタートです。

この日は前日の雪景色がうそのような快晴。改札口はどこか浮足立った人たちで賑わい、バスターミナルには入れ代わり立ち代わり、ホテルの送迎車が訪れます。DWKの貸切バスは各地からやってきた参加者を乗せ、京都市内をめぐる1日へと走り出しました。

  • 2月17日(金)ラーニングツアー概要

    ・浅田製瓦工場
    ・長岡天満宮散策
    ・高野竹工 Shop & Gallery 竹生園
    ・高野竹工 本社工場
    ・井尾製作所

「浅田製瓦工場」京瓦は伝統でありアートだ

「創業当時、うちは京都でいちばん新しい瓦屋でした。創業から100年余り経った今、京都で瓦を作っているのはうちだけです」

代表であり3代目となる浅田 晶久さんから語られたのは、1400年にも及ぶ瓦の歴史。機械化による大量生産が主流となるなか、『浅田製瓦工場』では人の手にこだわったものづくりが続けられています。

瓦はかつて、寺院や城郭のみに用いられる贅沢品だったそう。江戸の大火事や桟瓦葺きの考案をきっかけに、板葺きや茅葺きが主流だった民家にも瓦が普及したと浅田さんは教えてくれます。

「京瓦にはっきりした定義はないんですよ。昔は京都の土地で京都の粘土を使って、京都の焚き木で京都の技術で…と言えましたが今はそうはいかない。粘土は京都以外のものですし、燃料はガスです。残っているのは、京都という土地と受け継がれた技術だけ。その技術はなんだと言われたら“磨き”というわけです」

磨きの工程では、成形した瓦が1枚ずつへらで磨かれていきます。粘土をていねいに磨くことで生まれる色艶が、京瓦の大きな特徴であり魅力です。

京瓦の伝統を受け継ぐ職人は年々減少し、現役で作品作りを行う京瓦鬼師は浅田さんただ一人。その技術は歴史的建造物の修復にも求められます。この日は高さ1.5mにものぼる鴟尾(しび)の制作過程もスライドで見せていただきました。

凛々しくどこか愛らしい鍾馗さんがずらり

『浅田製瓦工場』を代表する商品が鍾馗(しょうき)さんです。鍾馗は魔除けや厄除け、学業成就のためにと古くから京都の屋根に据えられてきました。

現在は店舗からのオーダーにあわせ、ビールジョッキやキャリーバックなどを手にしたカスタム鍾馗さんも制作。工房では、鍾馗さんを手作りできる体験教室も開催中です。日本唯一の現役京瓦職人と鍾馗さんを手作りできるなんて、かなり貴重で楽しい体験となりそう。

大正10年頃に考案された機械を前に製造工程を説明される浅田さん

「昭和30年頃には真空土練機が誕生し、瓦が大量生産できるようになりました。一方で、需要の減少から瓦屋が減りつつあるのが現状です」

京瓦の伝統を絶やしてはもったいないと、浅田さんは次々と新たな取り組みに着手。京友禅の技術、シルクスクリーン印刷を施した瓦コースターもそのひとつです。

吸水性のあるコースターは外壁材としても利用可能

さらに、廃材となった瓦で消臭効果のある京瓦チップを開発するなどSDGsを意識した取り組みも続ける浅田さん。工房内には1300年前の貴重な瓦とともに、浅田さんがパリやフランスのデザイナーとコラボレイトした作品が並びます。

伝統を継承し、作品を生み出し、時代に沿った形で次へと繋いでいくのは決して容易でないはず。そのなかで生まれるアイディアと、何より浅田さんの「どこ行っても屋根ばっかり気になってしゃぁない」と語る笑顔に職人の情熱を垣間見た思いでした。

『浅田製瓦工場』を後にし、昼食後は梅がほころぶ長岡天満宮を散策です。穏やかな気候にほっと心が和むなか、英語が流暢な参加者さんの力を借りながら、香港から参加された女性とコミュニケーション。事業社はもちろん、参加者同士の対話から新たな気付きが得られることもDWKツアーならではの醍醐味です。

大阪・関西万博が開催される2年後には、各地でどんな対話が生まれるのだろう…そんな考えを巡らせる間に、バスは『高野竹工』へと到着しました。

「高野竹工」未来への循環から生まれる、美

扉の先にお香がふわり、と香る『高野竹工 Shop & Gallery 竹生園』。笹の隙間から光が降り注ぎ、林床に揺れる窓越しの風景が印象的です。

ギャラリーに並ぶのは、『高野竹工』で生まれる茶道具や日用品です。材料となる竹はすべて、伐り子(きりこ)と呼ばれる職人が竹林から整備、管理をし1本ずつ伐採したもの。さらに、社内に在籍する茶杓職人や花入れを作る職人、指物の職人、蒔絵の職人、漆塗の職人の連携によって1つの商品が誕生します。

まるで千家好みの道具を制作する職家、千家十職の世界観を見るかのよう。千利休の心眼に感服した初代社長のこだわりは、ギャラリーの至る所にあふれています。

地中で竹を支える根の部分を活用した根竹酒器
国宝の茶室を構える妙喜庵の桜も茶勺に

ちょうどこの時期は、竹を材料にする油抜きという作業が工場で行われているとのこと。向かった本社工場では、その様子を間近に見学することができました。

『Shop & Gallery 竹生園』から車で数分。本社工場では、竹工芸職人であり伐り子の東前 りささんが油抜きを行っていました。

ただ竹を切るだけでなく、竹が育つ環境、土壌にまで気を配るという東前さん。1本1本、笹の状態や竹の形状を見て、茶道具になる竹、箸になる竹と数年後を見据えながら管理するといいます。

「茶道では、竹の枯れや曲がりが“景色”として好まれます。すべてが一律、揃っていることを良しとする概念とは真逆の発想です。通常であれば評価されず、ただ枯れていくだけの竹を使うことは、実は竹林を健全に保つことにも繋がっているんです。曲がった竹を切るからこそ、まっすぐな竹が残り、増えていく。ただし、まっすぐであることが正解のすべてではありません。何を良しとするのかは、人の数だけそれぞれに思いがあってよいと思います」

観賞用の竹林では下草が排除される一方、『高野竹工』では下草の存在が重要視されるといいます。下草の隙間に宿る虫や微生物が土壌を耕し、竹を健康な姿へと導いてくれるからです。

竹林で育った竹は、箸のような暮らしに寄り添う品にも姿を変えます。『高野竹工』の箸は、皮をはがさず仕上げるのが特徴です。同じように見えても育成環境によって微妙に表情を変える竹の表皮。仕上がりを揃えるため、一膳の箸は隣り合う状態で切り出されます。

竹林で同じ年月を過ごし、パーツとして切り出された後も、一膳の箸として寄り添い続ける高野竹工の竹。この道40年の職人の手によって、一膳ずつ“ためなおし”と呼ばれる熱加工がなされた箸はほんのりと熱を帯びていました。

どちらか片方が欠けても成り立たない、一膳の箸。東前さんの言葉を思い出しながら、見た目の美しさだけではない、大切な何かを感じたひと時でした。

「井尾製作所」時代を継承し新たな未来を切り拓く

大正8年、彫金製造からスタートした『井尾製作所』は、戦後に油入開閉器の部品加工を始め、島津製作所などとの取引を広げながら売上を伸ばしてきた金属加工会社です。

「時代に即して業務を開拓してきたともいわれますが、曾祖父、祖父、父ともにその時代を生き抜くために必死だっただけなんですよ。その結果が今に繋がっているんです」

そう語るのは、4代目となる井尾 賢司さん。従来の機械加工の仕事を受け継ぎながら、文化財の超高精細なデジタル化を可能とした、高解像度スキャナーを製造する人物です。

『井尾製作所』代表取締役社長・井尾 賢司さん

『井尾製作所』の強みであり大きな特徴が鋳物加工の技術です。あらかじめ完成品に近い鋳物を製作し、そこから細かい形状を削り出すことで金属加工におけるコスト削減を実現しています。

写真の井尾さんが右手に持つのが、完成品に近付けた鋳物。鋳物から左手の完成品が生まれるまでに要する時間は、わずか10分というから驚きです。

ところが、鋳物が持つ側面はメリットだけではありません。加工時に出る破片は工場内を汚し、機械の寿命を縮める恐れがあります。そのため、ニーズの高さに反比例し、鋳物をふく会社はどんどん減っているそうです。

事実、このあたりで鋳物の外注加工に対応できるのは『井尾製作所』のみだといいます。さらに『井尾製作所』では、加工時に鋳物を固定する治具(じぐ)も自ら設計。「自分は子どものころから見てきたから当たり前と思っているんですけどね」と井尾さんが笑う一方で、自ら治具の設計を手がける工場はそうそうないという話です。

次々と組み立てられる小さな部品。トラックやゴミ収集車などが搭載する油圧ユニットの一部となるそう。職人さんの無駄のない動きはひたすらカッコイイ。

『井尾製作所』では、大企業のOEM製品も製造しています。喧騒に包まれた工場を抜けた先、案内されたのは部品の組み立てと検査を担うスペースです。

井尾さんが手にするギアポンプは、試験機で稼働する間もいたって静か。綿密な設計から生まれる静音性と稼働効率の高さが特徴です。

立ち上げ当初は月200台製造されていたこちらの製品は、今年に入り月1,000台にまで生産数が増加。年間生産数は1万台にのぼることからも『井尾製作所』の技術力の高さ、他社からの信頼度の高さがうかがえます。

京都大学名誉教授、AITReC(一社)先端イメージング工学研究所 代表理事 井手 亜里さん

4代目として新たな時代を切り拓く井尾さんは、文化財のデジタル化を可能とするスキャナーやパノラマカメラの製造も手がけます。

井手 亜里名誉教授の隣に並ぶのは、教授が開発し『井尾製作所』で製造された高解像度フラットベッドスキャナーです。中央のカメラで撮影した画像は、細部まで正確にデジタル化されます。

デジタル化した文化財のデータは、情報収集や分析、復元などに役立てられるそう。さらに、超高画質パノラマカメラが撮影したデータにアクセスすれば、歴史的建造物の内部を3D映像で体感できます。

VR技術と融合させることで、物理的な距離や時間をも超えるこれらの技術。コロナ禍の看護学校ではバーチャル授業に活用されたそうです。

「実は、京都はデジタル技術に関する歴史が深い場所なんです。文化財と関わりが深い博物館や印刷会社だけでなく、医療や福祉の現場などテクノロジーの活用の場は多岐に渡ります」

そう語る井手名誉教授の構想を支える『井尾製作所』の技術。先代たちが時代にあわせて道を切り拓いたように、令和の現代でも4代目の手によって新たな可能性が生まれようとしています。

専門分野をわかりやすく解説してくれた井尾さんにお礼を告げ、乗り込んだバスの車内。感想がやり取りされるなか、香港から参加された女性の「伝統工芸の素晴らしさを感じると共に、職人は高齢な方が多く未来へ繋ぐアプローチが必要だと感じた」という言葉が印象的でした。

近代化が加速した中国では、失われつつある伝統文化を保護するための取り組みが進められているそう。

一度失われた伝統を復活させることも、本来のままに継承することもどちらも容易ではないこと。浅田製瓦工場や井尾製作所で体験したように、近年目覚ましい進歩を遂げるテクノロジーも、一見相反するような伝統文化と深い関係にあるのかもしれない。

そんなことを考えながら「いつかあの朱色の酒器で酒を…」と高野竹工の盃が頭を離れなかった帰り道。バスはあっという間に朝と同じ京都駅前へと到着です。

賑わい続く西日が差し始めたバスターミナル。1日を共にした参加者は笑顔で手を振りあうと、各々の家路へと足を進めたのでした。

執筆:永田 志帆