「DESIGN WEEK KYOTO 2023(以下、DWK)」最終日となるこの日、イタリアから建築家であるAlessandro Biamonti(アレッサンドロ・ビアモンティ)さん、ビジネス+文化のデザイナー 安西 洋之さんをお招きし、トークセッションが開催されました。
・Alessandro Biamonti(アレッサンドロ・ビアモンティ)(建築家、ミラノ工科大学デザイン学部准教授)
・安西 洋之(De-Tales ltd. ディレクター、ビジネス+文化のデザイナー)
レポート−REPORT
【トークセッションレポート】「文化的景観」から世界における京都の役割を考える −イタリアの「テリトーリオ」からの学び
テーマは、「文化的景観」から世界における京都の役割を考える −イタリアの「テリトーリオ」からの学び。
ユネスコの世界遺産として登録されたイタリアのオルチャ渓谷という「テリトーリオ」を軸に、京都の抱える課題、可能性について皆さんと語り合います。
英語のテリトリーに対応するイタリア語「テリトーリオ」は、英語よりも多義性のある言葉のようです。ぜひ、その点も意識しながらセッションをお聞きください。
デザインとテリトリーの関係性
北林:今回は、イタリアのテリトーリオという概念から世界における京都の役割を考えていきたいと思います。先日のトークセッションでも「京都の人は京都の街並みにある種の不満を抱えているよね」という議題があがりました。景観問題はイタリアが抱えてきた課題でもあります。これから京都が世界で果たす役割を考えるヒントになるのではと、今回はイタリアからアレッサンドロ・ビアモンティさん、安西 洋之さんにお越しいただきました。
ビアモンティ:皆さん、こんばんは。久しぶりに京都に足を運ぶことができ、大変うれしく思います。本日は、デザインとテリトリーの関係性についてお話させていただきます。
私はミラノ工科大学のデザイン学部でデザインに関する研究チームを運営しています。インテリアデザインの学科ですが、いわゆる一般的に認識されるような空間インテリアだけが専門ではありません。
店舗のインテリアだけでなく、都市計画もインテリアに含まれます。過去には都市と田園風景を融合させたプロジェクトにも取り組みました。また、ここ15年ほど注力しているのが、アルツハイマー患者を対象とした施設のプロジェクトです。薬物に頼らず進行を遅らせる手法の一つとして、列車のコンパートメントを模したインテリアプロジェクトに携わりました。
デザインというと、工業製品やプロダクトデザインの歴史を思い浮かべる方が多いかもしれません。実際には、人類の歴史が始まったころからデザインは存在しています。また、デザインの対象は時代と共に変化するものです。工業製品からデジタルへと移り変わり、現在はサービスそのものがデザインされることも多いでしょう。
そもそもデザインとは、モノと空間、人との関係性を築き上げていくものです。ここ20~30年は、デザインは問題解決の手法であると盛んにいわれてきました。そういった側面ももちろんありますが、近年はセンスメイキングに重心が置かれつつあります。
物事で重要視しなければならない項目として、デザインのほかにビジョンが挙げられます。ここで着目してほしいのが、ビジョンはStrategy(戦略)に属するということです。日本で戦略という言葉がどの程度使われているのかわかりませんが、どのような戦略をとるか、という点がビジョンに直結してきます。
北林:ともすると「わが社のビジョンは社会貢献です」などビジョンは標語のように捉えられがちです。そうではなく、社会に向けてあるべき姿に沿った戦略を立てることが重要ということですね。
ビアモンティ:個人やコミュニティ、場所と場所との深い繋がりを理解するためには、地域の一部について熟知することが大切です。ここでいうダイナミックシステムとは、京都府や京都市といった物理的なスペースだけでなく、文化的なアイデンティティや人間関係すべてを含めたものを意味します。どこを内包し、どこを排除するのか、この判断が非常に重要です。排除というとネガティブなイメージで捉えられがちですが、プラスの要素を持つことも覚えておいてください。
テリトリーが持つ資本には、主に8つの要素が挙げられます。
・物的資源
・人的資源
・活動と雇用
・ノウハウとスキル
・文化とアイデンティティ
・ガバナンス
・イメージと認識
・対外関係
また、テリトリーを構成するのが以下のような5つのレイヤーです。
・物的資源
・人材と活動
・ノウハウ、アイデンティティ
・ガバナンスの形態
・対外関係
レイヤーの一つ目は、物理的なリソースです。二つ目には、人材や起業家精神、行動などが該当します。三つ目のリソースは、ノウハウやアイデンティティなどです。例えば、伝統工芸の技法などは、書面に残されるわけではなくノウハウとして受け継がれていきます。そういったノウハウが京都の人のアイデンティティに繋がることもあるでしょう。
四つ目のガバナンスは管理的なものをイメージしがちですが、テリトリーではそこにいる人自らがプロセスについて話し合い、物事を進めていくことを意味します。また、テリトリーは閉鎖的な空間ではありません。五つ目のような対外関係が必要です。レイヤーごとにテリトリーを分析すると、どの分野に強く、弱いのか可視化できるのではと思います。
北林:京都の方は祇園祭に例えるとわかりやすいかもしれません。祇園祭では、7月の間中、全員が祭りに没頭する。結果的に交流が促進され、さまざまなノウハウやアイデンティティ、信頼関係が積み重なりお互いを支え合うことへと繋がります。
ビアモンティ:イタリアにはデザインやテリトリーに関する問題がないのかといえば、決してそういうわけではありません。過去の問題を理解し、反省したうえで新しい街を作り上げていく。そういった側面に力を入れているのがイタリアなのではと考えます。
現代のデザインには、「自由への責任」と「想像性の意味」を見出す力が必要です。生み出されるデザインは自由であると同時に、責任を伴うものでなくてはならない。また、どのような意味合いを持たせていくのかが、現代のデザインにおける2つのキーだといえます。
文化的景観と新ラグジュアリーがどうつながってくるのか?
北林:続いては安西さんにテリトーリオについてお話いただければと思います。
安西:2冊の本を参照してお話します。1冊目は木村純さんと陣内秀信さんが書かれた『イタリアのテリトーリオ戦略 蘇る都市と農村の交流』。2冊目が陣内さんと植田曉さんの『トスカーナ・オルチャ渓谷のテリトーリオ 都市と田園の風景を読む』です。
オルチャ渓谷のテリトーリオは、有名な建築物があるわけでもない単なる田園風景です。この場所は、2004年にユネスコの世界遺産として登録されました。珍しい風景が「文化的景観」として捉えられていたなか、ありきたりな風景が「文化的景観」として認められたのです。
中世の時代、オルチャ渓谷はローマのバチカンまで巡礼する人たちの宿場町でした。宿泊施設や要塞、宗教施設などで形成され、中世にシエナ共和国の一部として繁栄した後、18世紀後半に地域全体の構造ができあがりました。
19世紀になると産業革命と共に近代化が進み、農業より工業の方が上だという構図が広がっていきます。オルチャ渓谷も例外ではなく、美しい田園風景が市街地開発や工場建設の対象となり汎用化されました。
1950年以降、政府が農業改革を行い、農民が独立できるシステムをつくろうとしましたがうまくいきませんでした。やがて多くの農民が街を離れ、オルチャ渓谷自体が人々の記憶から薄れていきます。
この流れが変化したのは、1980年代に入ってからのことです。要因は大きく3つ。1985年に制定された景観法とアグリツーリズモ法、1989年のスローフード宣言が挙げられます。
1985年になると、都市計画における景観課題に解決のめどがつき、田園風景や山、海などにテーマを移した景観法が誕生します。
アグリツーリズモ法は、農家が民宿を経営できる法律です。これにより、都市の住民と農家との交流が促進され、農産品の販売も拡大し複数の収入源が確保できるようになりました。
もうひとつ、1989年のスローフード宣言は、農村や食の価値が再評価される契機となったものです。ピエモンテのワインメーカーが使用禁止のアルコールを使い死亡事故を起こし、イタリアのワインの評価が下がったことを機に、経済的な利益以外に目を向けようという流れが生まれました。翌年にはスローシティ宣言がなされ、食の新しい価値が広まると同時に、サイズの小さな地域への評価が見直されていきます。
1984年には、トスカーナ州が産業廃棄物処理場の建設先としてオルチャ渓谷を候補としていることが明るみになり、5つの自治体の首長が建設阻止の対策を話し合います。
おもしろいのが、彼らは反対運動を起こしたのではなく、この地域を芸術的自然公園として申請しようと提案したことです。申請にあたり有機農法を実践したり、アグリツーリズモをコアとした観光ビジネスを作ったりといった取り組みを進めた結果、1999年に「オルチャ渓谷公園」が認可されました。
5つのコムーネ全域の92%は対象公園内に位置し、その63%が農業地域です。さらに2004年にはユネスコの世界遺産に登録されています。
ユネスコの世界遺産に登録されるにあたり、重要な役割を果たしたのが1300年半ばに描かれたフレスコ画『都市と田園における善政の効果』です。5つの自治体は「21世紀の美はここにある」と、農村と都市の生活の在り方をフレスコ画で示したのでした。
テリトーリオにまつわる3つのキーワード
ここからは「テリトーリオ」「パエサッジョ」「意味のイノベーション」の3つのキーワードに着目してみましょう。
まず、一つ目の「テリトーリオ」について。アレッサンドロの話で「テリトリー」という単語が出てきましたが、イタリア語のテリトーリオは英語のニュアンスとは若干異なります。テリトーリオは、行政や自然土壌の区域だけでなく、景観や歴史、文化、伝統、地域共同体をカバーしたアイデンティティを共有する空間の広がりを意味するものです。
二つ目のパエサッジョは、日本語では景観などを表します。イタリア語で故郷を指すパエーゼから派生し「先人たちの営みが生み出した眺望」という意味合いが込められた言葉です。
三つ目のイノベーションには、目的地到達に至る方法を改善するイノベーションと、目的地そのものを変えるイノベーションの2種類が存在します。目的地を変えるイノベーションである「意味のイノベーション」は、私が日本語版を監修した『突破するデザイン』の著者、ロベルト・ベルガンティの言葉です。田園風景の意味を変える発想にも貢献したといえます。
世界におけるラグジュアリーの変容
ここからは、服飾史研究家の中野香織さんと書いた『新・ラグジュアリー 文化が生み出す経済 10の講義』を参照としてお話します。ラグジュアリーというと、ルイヴィトンやエルメスなど19世紀のブルジョワの要求に基づいたブランドをイメージする方も多いかもしれません。
しかし、2015年前後を機にラグジュアリーにおける意味のイノベーションが世界各地で起きつつあります。西ヨーロッパだけでなく、東ヨーロッパや中国、インドでも起きている現象です。
自分たちの歴史や文化を顧み、アイデンティティを大切にしながら、新しいラグジュアリー市場が開拓されつつあるといえます。ラグジュアリーという言葉を使っているものの、進む方向は従来と異なるといえるでしょう。
新しいラグジュアリーのひとつとして挙げられるのが、さきほど紹介した13世紀のフレスコ画にも描かれているシエナの黒豚です。シエナの黒豚は、1960年代には飼育の難しさから個体数が減少し、70年代には血統の登録も途絶えてしまいます。その後はわずかな担い手が細々と維持していたものの、ほぼ忘れられた存在になっていました。
しかし、1989年以降のスローフード運動の価値観と結びつき、90年代には真逆の価値観が広がっていきます。これまであまり良いイメージが持たれていなかったシエナ豚の飼育が、ステイタスになる時代がやってきたのです。
1979年にはシエナの黒豚の血統登録が再開され、2012年にはEUの原産地統制名称の認定を受けます。意味のイノベーションが豚に対して起こった結果といえるでしょう。
オルチャ渓谷の農業景観も、意味のイノベーションにより新しい景観として評価されたわけです。何百年もの間、ある地域が高い評価を得続けることは困難といえるでしょう。評価の谷間に入ったとき、戦略的にどうデザインしていくかが重要なのです。テリトーリオの例からもその点を感じていただけるのではと思います。
北林:文化や伝統産業を残しておけばいつか日の当たるときがやってくるわけではなく、意図的にイノベーションを起こすためにデザインを考える必要があるということですね。
安西:自然に動いていればいいことがやってくるという流れは、日本で喜ばれがちです。確かにそういった側面もありますが、波が落ち込んだときに悲観的になりすぎるというデメリットがあげられます。楽観的であるためには、人間の意志が必要です。そのためのアプローチとしてデザインが存在するのではないでしょうか。
北林:ありがとうございます。この後は皆さんと共に、アレッサンドロさん、安西さんとディスカッションを進めていきたいと思います。時間を設けますので、近くの席の方と感想や質問などを話し合ってみてください。
【参加者からの質問】今後の京都の役割、そしてDESIGN WEEK KYOTOの可能性へ
───最近京都で家を建てようと思ったのですが、風致地区の壁にぶつかりました。瓦や壁の色など、景観を守るためのルールに沿っているにもかかわらず、建物からはどこかちぐはぐな印象を受けます。私は長年ミラノに住んでいたのですが、街並みは統一されている印象でした。ヨーロッパにも京都の風致地区のような景観を守るためのルールが存在しているのでしょうか。
安西:統一感、統一的な様式にする考えはヨーロッパのほうが強いかもしれません。例えば、江戸屋敷は一カ所から延長するように建物が生まれます。一方、ヨーロッパの城はまず全体の形を見据えてから部屋割りを考えていく。結果的に、全体的に統一感ある街並みが生まれるのではないでしょうか。
北林:私としては、資源の制約条件がなくなってから景観が乱れ始めたと感じています。ミラノのオレンジ色の屋根も、日本の瓦屋根も選択肢が限られていたからこそ生まれた結果ですよね。制約条件がなくなり選択肢が増えたことで、景観も乱れてきたのではないでしょうか。現在はその乱れに関する美意識の欠如が、ルールと暮らしの狭間を行ったり来たりしているのかもしれません。
安西:日本では工業的な建材が多用されているという問題もあるかもしれません。結果的に、工業的な建材により、ある種の統一感が生まれている。若干皮肉な話ですよね。こういった話は、いろいろな観点から論じる必要があると思います。
───日本では都市と地方が区別されて語られがちです。先日イタリアに足を運んだとき、現地の方は土地の名が付いたものを大事にしているように見受けられました。イタリアでは都市と地方の視点をフラットにしていくような教育、日常的なアプローチがなされているのでしょうか?
安西:この種の話は、イタリアの都市国家の伝統を持ち出す説明が多いですが、ぼくは別の点を指摘したいです。イタリア人の根底にあるのは、人間の尊厳だと思います。今週ミラノからやってくるときに機内で視聴した映画「ロスト・イン・トランスレーション(アメリカ、日本の共同製作映画/2003)」に触れても良いでしょうか。20数年前の上映当初、私はこの映画から日本人の反応を面白がっているような印象を受けました。しかし、今回は日本人がアメリカ人の尊厳を全く見ていない点に気付いたのです。
そういった観点からイタリアに目を向けると、イタリア人は人の尊厳を重要視していることがわかります。イタリアではレストランにベビーカーを押して入っても、店員も客も受け入れてくれる。そういった視点と、都市と地方とをフラットに捉える視点には共通点があるのではないでしょうか。
北林:見た目の美しさだけでなく、心の部分が非常に重要な点ではないかと考えさせられます。
───産業廃棄物処理場の建設候補となった結果、オルチャ渓谷公園が誕生したというお話、興味深かったです。日本の地方創生は、地元ではない方々が地方の文化、歴史などを引き出しているイメージがあります。地元で暮らす方が自ら動き発信するためには、何が必要なのでしょうか。
北林:私としては、だからこそDWKをやっています、というところです。街にどんな人がいてどんな暮らしがあって、どんな活動をしているのか。それを知らないことには新たにアプローチすることはできません。そういった場がベースとして必要なのかと思います。
ビアモンティ:お互いの距離感を見直すことが求められているのではないでしょうか。具体的にはプロクシミティ、お互いの「近さ」を重要視することが大切です。プロクシミティは、新しい都市計画の文脈や循環経済のなかでも語られます。お互いの距離が近くなければ、ケアし合うことができません。
安西:また、イタリア人は歩きながら人と対話することがクリエイティブの源泉だという意識があります。目的地に向かうために歩くのではなく、友人と対話するために歩くわけです。
北林:確かに、会議室などでまじめに語っているだけでは、クリエイティブなアイディアは生まれないですよね。正解はひとつではありませんが、新しい何かを生み出す際の参考にしてもらえればと思います。
───格差、距離といったキーワードが先ほどから出ていますが、例えば京都でお互いが近づくためのルールについてどう感じてらっしゃいますか?
北林:僕は奈良県出身なのですが、実は京都に入っていくのが怖い一面があったんですね。独特の文化のなかで培われてきた会話の意味に慣れるまで、時間がかかりました。
京都ならではの会話は歴史の中で培われてきた手法であり、そこには意味があるんですよね。本質を理解するためにはお互いの対話が必要です。そもそも京都は都であり、いろいろな人が訪れて混ざり合ったからこそ、高度な文化や歴史が生まれてきた。その歴史に紐づいて本質をお話しすると、京都の方にも理解していただきやすいのかな、と感じています。
京都のものづくりの現場は、地元の方でもハードルが高いイメージがあるといいます。だからこそ、そういった場をオープンにし、皆さんの思いを伝えたいという考えからDWKはスタートしました。
DWKのサイトを見ていただくとわかるかと思うのですが、写真に映るみなさん笑顔なんですよ。職人さんって、しかめっ面した写真を撮られがちじゃないですか。そうではなく、ひとつの職業として存在し、近所に住んでいる方々という認識で接していただけたら。そこからいろいろなアイディアや文化が生まれるのではと考えます。
実際に、皆さんも隣の方と対話しながら、お互いの距離が縮まるのを感じたのではないでしょうか。こういった場がたくさん生まれることで、100年先1000年先に繋がる文化が誕生するのかもしれない。結果、冒頭のご質問にあったような美意識の統一に通ずる問題も解消されていくかもしれないですよね。
長くなりましたが、今日は安西さんとアレッサンドロさん、はるばるお越しいただきありがとうございました。久しぶりにお会いでき、このような場を設けられたことを大変うれしく思います。参加された皆さんもどうもありがとうございました。